インドネシア情報1997

 私は、1996年8月~1998年1月にかけて、インドネシアのスラカルタSurakarta市にあるスブラス・マレッSebelas Maret大学に留学していました。
その時に経験したことをこのページで紹介できたらと思っています。 

1.スラカルタ(その1) 2.スラカルタ(その2) 3.ワヤン
4.バティック 5.スラカルタ周辺(その1) 6.スラカルタ周辺(その2)
 7.ボロブドゥール 8.プランバナン  9.1997年総選挙 
10.イドル・アドハー  11.スカテン  12.マウリッド祭 
13.食べ物(その1)  14.食べ物(その2)  15.ワイサック
16.教会 17.水田  18.地区対抗芸能大会 
 19.市場 20.遺跡めぐり~ディエン  21.遺跡めぐり~
ジャカルタ
22.遺跡めぐり~
   ジャワ北海岸 (1)
23.遺跡めぐり~
    ジャワ北海岸 (2) 
22.遺跡めぐり~
スラバヤ 

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スラカルタ(その1)

 スラカルタSurakarta、もしくはソロSoloは、ジャワ島中部にある人口50万人弱の古都です。 1745年、マタラム王国の都となりました。その王家ススフナンと、1757年に分家となったマンクヌゴロという2つの王宮があります。そのため、ジャワ文化の中心といえる静かな街です。

 ソロというと、ブンガワン・ソロ(ソロ川)という名曲があります。そのソロ川の写真です。あまりきれいではありません。ブンガワン・ソロの作曲者グサンさんは近くにご健在です。一度、お見かけしました。

 ススフナン王家です。
 真中にある塔では、1年に1度、南海の女王と王とが結ばれるといわれます。

 週に1度、踊りの練習があります。普通の観光客には入りづらいかもしれません。
王女様が指導していました。

スラカルタ(その2)

 一方、マンクヌガラン王家でも、週に1度、踊りの練習があります。 ガムランという伝統的な打楽器による演奏は素晴らしいの一言です。生演奏はCDとはぜんぜん違います。

 ソロ人が多いといわれるジャムー売りのおばんさんです。ジャムーとは、漢方薬に卵・蜂蜜・レモン汁などを混ぜたものです。2杯用意してくれていますが、左側の苦い薬を飲んだ後、右側の甘い飲み物を飲みます。 風邪をひいたときなど、私も利用しました。

 ソロ市内にあるクレンテン(中国寺廟)です。
 ソロには華人が多く住んでいます。伝統的に反華人暴動が発生しやすい土地です。

ワヤン

 マンクヌガラン王家でワヤン・クリッWayang Kulitと呼ばれる影絵劇が行われたときの写真です。

 写真でおじぎをしている人がダーランといい、人形を使いながら、「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」の1節を語ります。
彼の周りには、プシンデンで呼ばれる歌い手とガムラン奏者がいます。夜遅くから始まり、明け方まで続けられます。
話はジャワ語でほとんど理解できませんでした。
 

 ススフナン王家の近くにワヤン・クリッを製作する工場があります。
 クリッkulitとは皮の意味で、この人形は牛の皮から作られます。

 スリウェダリ公園にある劇場では、毎日、ワヤン・オランWayang Orangが行われています。
 ちなみにオランとは人間の意味で、人形ではなく人間が演じています。

バティック

ソロはバティックbatikと呼ばれるろうけつ染の産地です。ジャワ更紗の名で日本でも知られています。
ススフナン王家の西隣にバティックを扱う小さな店が集合したパサール・クレウェルという市場があります。値段交渉するのが結構面白いです。

 バティックの有名な企業の一つBatik Kerisの工場です。
 写真では、女性がチャンティンと呼ばれるペンみたいな道具を使って、布にロウで模様を書いています。これを染色するとロウで描いた部分だけ色がつかないというものです。 

 高いものは手書きなのですが、安いものの大部分が、写真にあるように、チャップというスタンプで模様を描いています。

スラカルタ周辺(その1)

スラカルタ周辺にある遺跡などの写真を集めてみました。

チャンディ・スク……
ソロ郊外のラウ山の中腹にある。15世紀頃に建造された。リンガ(男性器)崇拝やガルーダ像などが見られる。

 チャンディ・チュト……
 ここも、ヒンドゥー文化の影響が見られる遺跡。写真でもわかるように、バリ島の建築物に似ている。

  この遺跡では男性器と女性器をかたちどったものがみられる。

スラカルタ周辺(その2)

 スラカルタ周辺にある遺跡などの写真を集めてみました。

 これはスマルという「マハーバーラタ」にでてくる道化の像です。内部には小さな部屋があり、瞑想ができるようになっています。

  スハルト元大統領の妻イブ・ティンの墓……非常に広く立派なものです。マンクヌゴロ王家の墓地の近くにあり、イブ・ティンの両親の墓とともにあります。隣が広く開いていたので、スハルトも死後そこに入り、貴族の仲間入りをするつもりなのでしょう。

  カルタスラの王宮跡……スラカルタに王宮が移る前、1680年、隣町のカルタスラに王宮がありました。今は、写真のように外壁だけ残っています。カルタルラのバスターミナルからベチャですぐにいくことができます。

ボロブドゥール

 スラカルタ周辺にあるものというと、やはり、ボロブドゥールとプランバナンに触れなければなりません。まず、ボロブドゥールですが、いわずとしれた世界遺産になっている仏教遺跡です。

 ピラミッド型のこの遺跡を登っていくと、上部には鐘形の塔が丸く並んでいます。右側の写真にあるように、塔の中には仏像があり、それに触るといいことがあると、どう見てもイスラム教徒の女の子たちが触ろうとしていました。

 ボロブドゥールでは、回廊の壁面に仏典などを描いたレリーフがあります。どれも素晴らしいものです。しかし、日陰のないこの遺跡を見て回るのはかなり疲れます。レリーフにあるように、日傘の用意を。

プランバナン

 次は、プランバナンです。プランバナンはヒンドゥー教の遺跡で、非常に優美な建築物です。ソロから1時間弱で行けたと思います。

 6つの大きな塔があり、その中の一つに、下にあるドゥルガー女神の像があります。一番優美な像だと思います。

 ここにもきれいなレリーフがあり、モチーフは「ラーマーヤマ」や「マハーバーラタ」です。
 この周辺には他にも多くの遺跡があり、近くのホテルで自転車を借りて回ると便利です。
 また、少し離れていますが、バスでラトゥ・ボコの丘までいき、プランバナン遺跡群を眺めてみるのもお勧めです。

1997年総選挙

 1997年5月29日に、インドネシアで総選挙が行われました。
 当時のインドネシアの選挙は、与党のようなゴルカル(黄色)、イスラム系の開発統一党(緑)、インドネシア民主党(赤)の色分けされた3党だけによるもので、事実上、ゴルカルの信任投票といったものでした。しかし、長期にわたるスハルト政権への不満が鬱積しており、激しいものになりました。
スラカルタでは、3月末に町中がゴルカルの色、黄色で塗られてしまうという事件がおきました。それに対し、イスラム系の人々は黄色の上に、白のペンキを塗り対抗していました。まるで子供のけんかのようです。
 上の写真は白のペンキが塗られたアルン=アルン(王宮前広場)です。

 ゴルカル:挙前、2週間ほど選挙キャンペーンがあります。3つの政党が日替わりで運動するのですが、スラカルタではインドネシア民主党の活動はほとんど見られませんでした。その代わりに、インドネシア民主党党首の座を下ろされた現副大統領のメガワティの支持者による活動が少し見られました。

 インドネシア民主党:左にある写真は、決して暴走族を写したものではなく、これが選挙キャンペーンです。バイク・車のエンジンをふかしながら、街を走り回るというもので、世界一環境に悪い選挙ではないかと思ってしまいます。この時期、ゴルカルと開発統一党の間での衝突が続き、結構物騒でした。選挙キャンペーンによって、着る服の色まで考えないと行けません。特に、緑の開発統一党のキャンペーンの日に、黄色の服を着ていたらたたかれるでしょう。そうでなくても、私は一度、中国系と間違われて、開発統一党の若者に棒ですこしたたかれました。

 開発統一党:選挙は下の写真にあるように3つの政党の絵を針で突き刺すというものです。当時の選挙はゴルカル以外に入れたらばれてしまうといわれていました。投票場まで行って、写真をとろうとしましたが、お役人に断られてしまいました。あとで、ニュースを見るとスハルトが投票のときに、写真をとっていたので、怒り心頭。

イドル・アドハー

インドネシアの国民は90%以上、イスラム教徒だといわれます。そこでイスラム教の儀礼に関する写真を集めてみました。

  最初に、イドル・アドハーIdul Adha(犠牲祭)というメッカ巡礼の最後を祝う儀礼です。

  モスクや裕福なムスリムの家で、牛やヤギが犠牲となって、その肉が配られます。死期を悟ったヤギが泣き叫んで、必死で子孫を残そうと交尾を始めていたのが、なにかかわいそうでした。

  でも、この夜はヤギ肉入りのカレーを食べました。ちなみに、ヤギの肉は少し脂っぽいです。

スカテン

 イスラムの預言者ムハンマドの誕生を祝うマウリッド祭の1週間前、ススフナン王家の前の広場や隣接するマスジッド・アグンというモスクでは、スカテンというお祭りになります。由緒あるガムランが王家からマスジッド・アグンまで運ばれます。

 ここは、マスジッド・アグンで撮ったものです。写真には、塩漬けのアヒルの卵とキンマ売りのおばさんがたくさんいます。キンマとはその葉にビンロウジ、石灰などをはさんで、噛みタバコみたいに口に入れてかむ嗜好品です。赤い汁が出てきます。私は、更にタバコをはさんで噛んでみましたが、とても苦くて、頭がくらくらしてきました。

 これは、特別なガムランの演奏を聞いている人々で、ちょうど、除夜の鐘のようなものでしょうか、イスラム聖者が作った曲を聴くといいことがおきると信じられているみたいです。

マウリッド祭

   

  預言者ムハンマドの誕生を祝うマウリッドMaulid祭です。ススフナン王家から近くのマスジッド・アグンの間を行進します。

  

  さまざまな格好をした従者が見られます。

  

  ちょうど御みこしみたいなものは、グヌンガンといいます。国の安寧のために供えられたものです。これは男性器を表しています。

 

  これは女性器を表しています。

 それぞれ上部にはお菓子が飾られてあり、儀式が終わった後は人々が奪い取ってしまいます。

食べ物(その1)

 

 インドネシアにいるときには、昼・夜、屋台で食事していました。
 写真はラメランさん家族の屋台ですが、夕方から9時過ぎまで、毎日ここで過ごしました。途中から、お金を受け取らなくなり、ただで食事をしていました。
メニューは、ナシ・ゴレン(焼き飯)、ミー・ゴレン(焼きそば)、チャプチャイ(野菜炒め)のようなものです。

 この写真は、インドネシア料理の味の決め手、唐辛子とバワン・メラ(小さい赤たまねぎ)などをつぶしているところです。 
 私も小さな石のすり鉢を日本に持ち帰りました。
 

 これは、ナシ・リウェットといって、炊いたご飯を使っています。普通、インドネシアでは米は最初にゆでてから、あとで蒸すといった調理方法です。ココナツ味のスープなどをかけて食べます。入れ物が南国らしくていいです。

 暑いときによく食べたメニュー。バクソというつみれ入りラーメンと、エス・ブアというフルーツ入りカキ氷。インドネシアでカキ氷は飲み物扱いです。だから、結構氷が溶けたものがでてきます。

食べ物(その2)


 インドネシアというと、串焼きのサテが有名です。このサテ売りのおばちゃんは一式を担いで街中を歩き回り、声がかかると、家の前で焼き始めるといったものです。火がついた炭を頭に載せ、歩いているのはすごい。肉ももちろんおいしいですが、テンペ(無縁発酵大豆の食べ物)を焼いたのも大好きです。

 これは、養魚池から出してもらったなまずの写真です。なまずのから揚げもよく食べました。決しておいしいものではありませんが……。泥臭いのです。ソロでは新鮮な魚を食べることは難しいです。

 これは、アヤム・ゴレン(鳥のから揚げです)揚げたてを、ナイフ・フォークと使わずに手で食べます。ボウルに入った赤いものはサンバル(唐辛子ペースト)です。肉を食べたくなると、この店に行っていました。奥にあるのは、クルプックというせんべいのようなものです。これもおいしいです。

 ディエン高原にあるワルン(食堂)で鳥のから揚げを注文しました。後ろを覗いてみると、おばさんたちが鶏の毛をむしっていました。まさに現地直送。

ワイサック

 

 釈迦の聖誕祭、ワイサックWaisakの写真です。場所はボロブドゥールです。

 お坊さん達は確かタイから招いたと言っていました。テレビ局も来ていました。

 参加者はほとんどが華人の団体です。
 私も身分証明書の宗教の欄に一応、仏教と書いていたので、参加しました。
 インドネシアでは身分証明書などの書類に自分の宗教を書く欄があります

教会

 ソロには大きな教会がいくつもありました。インドネシア人の90%以上はイスラム教徒ですが、都市部にはキリスト教徒も多くいます。土曜の夜、日曜日にはミサがあります。多くの華人がキリスト教徒になっていることから、キリスト教徒はイスラム教徒よりも金持ちだとねたまれていることもあります。

 

 教会のミサに参加してみると、絶えず歌っていることに驚きました。合唱のほかに、バンドによる演奏もあります。まるで歌声喫茶のよう。壁に掲げられている文字にKeluarga Allah(アッラーの親戚)と書いてあります。インドネシアのキリスト教徒の微妙な立場が伺えます。

 これは、クリスマスの日の教会の風景です。教会の前に集まっているのは、別にキリスト教徒というわけではありません。おそらく、普段、道路などで物乞いをしている貧しい人々です。クリスマスの日には、教会から彼らに食糧や衣服のプレゼントがあります。

水田

 スラカルタ市の南にあるスコハルジョの水田風景です。
 知り合いの人の実家にバイクの3人乗りで出かけました。
 左の3枚の写真は同じ日に撮りました。

 おばちゃんたちは、足ふみ脱穀機で楽しそうに働いていました。

 上の写真と、この写真は同じ日に撮ったものです。インドネシアの水田では、稲刈りと田植えを同時に見ることができます。

地区対抗芸能大会

 

 8月17日の独立記念日が近くなると、地区ごとの芸能大会があります。
 私が住んでいた下宿の周りの路地でも、近所の人たちが衣装を着て、楽器の演奏などをしていました。
 なかなかの芸達者がそろっています。 

 インドネシアでこのような催しは、普通、夕方から夜にかけて行われます。つまり、夜にぶらぶらしないと、ちっとも面白くありません。

 

これは、レオグ・ポノロゴ。 
ジャワで時々見られる出し物です。人間の形をしていますが、ライオンと鳥という2つの頭を持っているものです。ジャワの民話に基づいています。

市場

 東南アジアにある市場はとても面白いです。果物などを買うため、ちょくちょく市場に行っていました。 
 ここは、パサール・グデという市場です。
 手前に山積の唐辛子があります。新聞で価格の推移が大きく取り上げられるほど、唐辛子は重要な食品です。

 ここは、パサール・クレウェルというバティックの店がたくさんある場所の前です。王宮も近くにあり、人通りが多いのでこのような物売りの人がたくさんいます。

 インドネシア語でナンカという果物です。英語ではジャック・フルーツというらしい。 切ったものをビニールとかバナナの葉に包んで売ってくれているのですが、おばさんの後ろに実物があります。ごらんのように、とっても大きな果物です。

 

ここは、パサール・クンバンという場所です。
クンバンとはジャワ語で”花”という意味です。 お供え物用の花を売っていましたが、今、この場所はなくなっているかもしれません。

遺跡めぐり~ディエン 

 ジョクジャからバスに乗り、ディエン高原まで行ってきました。高度2000mぐらいにあり、小さなバスで山道を登っていきます。ソロに比べると、本当に涼しいです。ここには、古代ジャワのヒンドゥー遺跡があります。写真は、パンダワ寺院群の3つのチャンディです。ディエンの中心にあります。

 これは、ワルナ湖の写真です。細い山道をあがって写真をとりました。周りの煙は硫黄泉によるものと、自然発火して燃えた森林によるものです。ちょうどこの頃、カリマンタンの森林火災がひどかった時期で、時々、煙に囲まれてしまいました。

 シキダン地熱地帯です。ここでは硫黄を吸いすぎてむせ返ってしまいました。危険地帯であるのにもかかわらず、どこでも入れるといういい加減さがいい。でもここに入るには、保険料をとられました。ディエンは静かでのんびりしたいいところです。

遺跡めぐり~ ジャカルタ

 ジャカルタのコタと呼ばれる地区は、ジャカルタがバタヴィアと呼ばれていた頃の中心地になります。これは旧市庁舎で、今はジャカルタ博物館と呼ばれています。中には家具などがあります。

 これは上のジャカルタ博物館の敷地内にあるものですが、金子光晴の詩「エルヴェルフェルトの首」で有名なエルヴェルフェルトの記念碑です。エルヴェルフェルトとは、1721年にバタヴィアを占領する陰謀を企てているとして罪をきせられた人物で、結局、処刑され、その頭蓋骨は記念碑の上にさらされることになりました。今はその頭蓋骨はありませんが、記念碑はここにあります。これを見つけたときには感動しました。

 ここはコタにあるチャイナタウンです。ごみごみしてわかりづらい場所にあります。 私が行った頃は、漢字の看板もなく、他の国のチャイナタウンとは違った感じでした。

遺跡めぐり~ ジャワ北海岸 (1)

 ジャワの北海岸にも歴史的に重要な地域がいくつもあります。
 まず、スマランという街ですが、ここには多くの華人が住んでいます。写真はスマランで一番古いクレンテン(中国廟)、グドゥン・バトゥです。ここは鄭和の艦隊にいたものが残って造ったと言われています。

 スマランの華人地区をぶらぶらしましたが、何回か中国語で話しかけられました。私を華人と間違えたようです。ソロにいるときにはそんな体験はありませんでした。やはりスマランの華人地区のほうが活気があります。

 スマランからバスで2時間ぐらい離れたところにドゥマックという町があります。ここには、16世紀にドゥマック王国というジャワで最初のイスラム教国がありました。このモスクには王家の墓があり、私も参拝しました。

遺跡めぐり~ ジャワ北海岸 (2)

 ドゥマックからさらに2時間ぐらいバスで揺られると、クドゥスに着きます。クドゥスも歴史的に古くから栄えた商業地です。クドゥスにはジャワのイスラム化で重要な役割を果たしたワリ・ソンゴ(九聖人)の一人、スナン・クドゥスの墓があります。その横には、写真にあるマスジット・ムナラがあります。ここはイスラム化以前の遺跡がマスジットに利用してあります。

 スナン・クドゥスの墓にはジャワ各地から巡礼者が多く見られます。私のその一行に混ざって参拝しました。残念ながら、写真は禁止といわれました。

 クドゥスから北に小さなバンに揺られてジュパラまで行きました。ここには東インド会社の遺跡があります。それ以外に有名なものとして、民族英雄である女性カルティニの住んでいた場所です。ここはカルティニ博物館で、カルティニが使用していたという家具などがありました。私はカルティニが使っていたという椅子に座り、机に向かってサインを書きました。感激です。

遺跡めぐり~ スラバヤ

 今度は、インドネシア第2の都市、スラバヤです。
 そのスラバヤから車で2時間ぐらい北に行くと、グレシックという場所があります。漢文史料などにも登場する街ですが、ここも古くからイスラム化がすすみ、ワリ・ソンゴの一人、スナン・ギリの墓があります。私が行ったときはあまり人がいなかったのですが、建物の前には露天が並んでいます。

 スナン・ギリの墓から少し離れたところに、イスラムを始めてジャワに広めたといわれるマリク・イブラヒムの墓があります。街中のひっそりとした場所です。

 これは、スラバヤ市の北部にあるジュンバタン・メラという橋の上です。ジュンバタン・メラは”赤い橋”という意味です。インドネシアにはクロンチョンという民族音楽がありますが、その中の有名な歌の中に、ジュンバタン・メラという歌があります。